5/12 は
「お母さん! ありがたう。」の日
こどもの日 の次は 母の日ですね~
□ 未来へ Kiroro
(玉城千春さん)
パジャマ姿で病床に苦しむ母。そんな
母の姿を見るのは、生まれてはじめて。
母がいなくなるかもしれないという不安
を感じ、幼い時から歌をほめ、いつも応
援してくれた母に対して 素直に口にする
ことができない母への感謝の気持ちを、
歌にして伝えようとした 中3 キロロの
結成前の作品だそうです。
♫ほら、足元を見てごらん
これがあなたの歩む道
ほら、前を見てごらん
あれがあなたの未来
母がくれたたくさんの優しさ
愛を抱いて歩めと繰り返した
あの時はまだ幼なくて意味などしらない
そんな私の手を握り
一緒に歩んできた・・・
□母に捧げるバラード 海援隊
(武田鉄矢さん)
武田鉄矢さんは、上の歌で紅白・・に.
しかし次の年は大晦日にスナックの皿洗
いのバイトの奥様とどん底生活に・・・
故郷に帰るとお母さんから「歌、タバコ
豆腐…お客様から目をそらして人気や金
を見始めるからおかしくなる」
「来られた10人の為に全力をつくして
うたうんばい!」と
♫お母さん 今 僕は思っています
僕に故郷なんか
なくなったしまったんじゃないかと
そしてひとつ残っている
故郷があるとすれば
お母さんそれはあなた自身です
あなたは何から何まで故郷そのものです
…目を閉じていると お母さん
あなたの声が聞こえて…くるんです
日本では、全国各地のキリスト教会が中心となり少しずつ行っていましたが、「森永製菓では、この心温まる行事を広めようと
『森永母を讃(たた)へる会』を1936年(昭和11年)に結成。その年の春に“母をたたえる歌”の募集を行ったところ予想をはる
かに超える反響があり 1万5000点あまりもの応募があったそうです。西条八十さん与謝野晶子さんなど著名な方々の審査によ
って選ばれた歌詞は、古関裕而さんによる作曲でレコード化され、発売されたそうです。(マエチは作詞が見つかりませんでした)
翌1937年5月8,9日 第1回「森永母の日大会」が開催!20万人の”おかあさん”が集まったそうです。母を讃える歌の発表や
お母さんたちに楽しんでいただくための歌や踊りのショー、菓子や飲み物の模擬店などを行いました。この盛大に行われた催し
が新聞や雑誌に大々的に取り上げられたことが、母の日運動を全国に広げるきっかけになったのです。
(文責 前 地 昇)