日本の桜は 今 8割がソメイヨシノですって!! いつから?

江戸時代には、先程の芭蕉・貞室などが吉野の見事な桜を読み、それにつれて豪商が一万本もの桜を寄進したのを始め、様々な人が寄進をして吉野の桜にとっていい時代が続きました。・・・ 
吉野山の桜は約1300年前、修験道の開祖、役行者が桜に蔵王権現を刻んだという故事から、人々が桜を献木して数を増やして 幾度も盛衰を繰り返してきたのですが、
最大の危機は明治維新後に訪れました。きっかけは明治政府が1872年に出した修験道廃止令!「お上のおとがめを恐れた住民らが桜を伐採して版木用に大阪の商人に売り払お
うとしました。山林の中心の方が『これから外国に日本の文化を伝えていくときに、吉野の桜がなくなってどうする』と一喝。 自ら多額の寄付をして桜を守った」。
地元で保全運動が盛り上がり、1916年には桜の管理のための吉野山保勝会が発足。戦時中は燃料代わりに桜の乱伐もあったものの、戦後はますます桜の植林が盛んになったのです。

「吉野山花の散りにし木の下にとめし心はわれを待つらむ」(西行法師)
「吉野山八重たつ峯の白雲にかさねてみゆる花桜かな」(藤原清家)
「吉野山峰の白雪ふみわけて入りにし人の跡ぞ恋しき」(静御前)
「ここにても雲井の桜咲きにけりただ仮そめの宿と思ふに」(後醍醐天皇)
「よし野にて桜見せふぞ檜の木笠」芭蕉
   →ひの木の笠よ、さあ吉野に連れて行って、桜を見せてやるからな:笠に声かけて一歩一歩吉野に向かったんですね!
「いざ子ども 山べにゆかむ桜見に 明日ともいはば散りもこそせめ」(良寛)
「雲を吞(のん)で花を吐(はく)なるよしの山」(蕪村)
  →吉野山は雨雲を飲み込んでは花吹雪を吐き出している:なんだか秀吉の思いみたい!

最後に 役小角や西行法師や(義経?)静御前や太閤秀吉や芭蕉が見たサクラはヤマザクラで、シロヤマザクラなんです。 ソメイヨシノではありません! 
吉野山の桜はシロヤマザクラで、ソメイヨシノは江戸末期に 江戸の染井村の植木屋さん?がエドヒガン(母)とオオシマザクラ(父)で人工的に作ったサクラなのです。
今や日本の桜の8割がソメイヨシノだそうですから、芭蕉さんのように、笠:帽子をかぶってハイキングのつもりで吉野山の桜を見て、蔵王権現を見に行きたいですね~
(マエチは三大の青紫色の蔵王権現にびっくりしました!)

(文責 前 地   昇)

 

2023年04月12日