正しい歴史観?~その3「自分なりの歴史観を持つ」


 私はいつも歴史を学ぶ意味について、「いつの時代でもその時代に生きている人の肩には重い課題が乗っていた。人々はそれを少しでも軽くして生きやすいようにと努力してきた。そのことを学び、今の自分たちにはどのような重い課題が乗っているのかも考え、よりみんなが生きやすい社会を作っていってほしい。福沢諭吉は「一身独立して、一国独立す」といっている。」というようなことを話しました。
「先生の社会科の授業で特に印象に残っているのは、自由民権運動の話だ。」と現在60歳を超えた教え子が語ってくれたことがあります。
私は自由民権運動のところで三多摩地方での若い民権家らの話をしました。彼らは新しい憲法を自分らで作るのだと、仕事の後、土蔵のある家に集まって、横浜で買ってきたルソー、ジョン・スチワートミルやハーバード・スペンサーなどの本を回し読みし、夜明けまでランプの灯の元、激論を戦わせていたという話でした。(色川大吉「民衆憲法の創造」)
 わたしはこれが「正しい歴史観」だというようなことは言いませんでした。そのようなものがあるとは思わないからです。「正しい」の反対は「悪い、間違った」になりますが、何が正しくて、間違っているのか決めるのは大変難しく、一つの歴史観を義務教育の中で教えることには無理があります。
生徒たちがさまざまな本を読み、友達と話をし、いろいろな体験の中から自分なりの歴史観を持っていってくれることが大事なのではないでしょうか。
(2022年9月6日)

文責 中野 謹矢

2022年09月08日