2025年
8月3日(日)1号田に電動ポンプを使って入水
「9:15畑に行く。N氏は左手に力が入らないということで欠席。I氏は恒例の北海道バイクツアー。このところずっと雨が降らないため、1号田の稲は少し黄ばんでくる。田はひび割れ寸前。そこで古いポンプを持ってきて、水路から田に水を入れようとするも、ポンプは作動せず。To氏所有の電動ポンプを使って、1号田に水を入れる。古いガソリン式のポンプは作動したものの、水を吸い上げる力がなく結局は使えず。昼食はいつも気になっていた、うなぎ屋の隣のうどん屋に行く。ざる定食(冷やしうどん+卵丼)。うどんは太くてかたい。ここで手打ちしているらしい。わらびもち、スイカを買って帰る。夕方足がつって困る。」
8月16日(土)共生学舎も潮時か
「N氏は左手の具合が悪く、今日も休み。作業は草刈り。花壇担当が小生とOn氏になり、小生は2号田の道路沿いの雑草が背の高さにまでなっているので、一人でそれを切る。草刈り機を使う場合は二人でとなっているので、鎌で手刈りする。35℃を超えての作業なので10分もすれば息が上がってくる。30分で10分休憩し作業を続ける。昼食を持ってくる人もなく、テント下で小生一人で食べる。帰ったら足がつり始め困る。塩分不足や急に筋肉を動かしたのでなったようだ。うんうん言いながらなんとか夕食のころには収まる。考えてみれば共生学舎もどうやら潮時のようだ。今年度いっぱいでやめようかなと思う。」
9月7日(日)の定例会は家族旅行のため欠席しました。
10月5日(日)妻のマンドリン練習送迎のため欠席しました。
11月2日(日)すぐオーバーヒートする竹材粉砕機
「2か月ぶりに畑に行く。10時、大原農機が竹材粉砕機を持ってくることになっており、定例会の後、竹林A地区に行く。M氏が貯めてある竹はそのままにして、今日切ったものだけを処分したほうがいいと言ってくれる。T氏とタッグを組み、茶色くなったもの、曲がっているもの、密集しているところのものなどを次々と切っていく。10時を過ぎても大原農機は来ず。H氏が電話したら“忘れていた”とのこと。11時過ぎようやく機械が来る。竹を機械に入れる作業をM氏と小生がする。ものすごい音で耳に良くないので、15分ごとに交代する。直径10センチ以上になると対応できず、5㎝くらいの枝付きのを処理していく。ところが30分ほどすると、やや太めの竹を入れると前に進まず、バックで竹を取り出し、再度入れるもダメ。大原農機に電話するとオーバーヒートしたので少し休ませてくれという。結局、15分ほど作業して20分休憩ということで、切った竹を処理するのが精一杯だった。」
11月15日(土)On氏退会 花壇はどうする
「畑に行く。T氏、N氏らは休み。会議は11時に変更、まず、作業をする。小生は草刈り機を使って竹林A地区の斜面の草刈りをする。O氏が下の草取りを鎌を使ってする。10:30よりNg氏、D氏らも来てくれ、数本の不要な竹を伐採する。花壇を担当していたOn氏が自動車免許を返納することになり、共生学舎をやめる。花壇担当をどうするか決まらず、O氏は少しだけ花壇を残し、あとは駐車場にしてはと提案するも、もう少し考えることになる。2~5号田は先日、奈良県に返上に行く。来週,I氏が2・3号田を個人的に借りに行くとのこと。Md氏に柿をもらって帰る。」
12月7日(日)教え子のMm君(享年46歳)の1周忌のお参りに行くため、定例会は欠席しました。
Mm君は筋ジストロフイーという難病でしたが、大変な頑張り屋さんで、近畿大学の数学科の博士課程を卒業。論文(Note on p-adic Hermitian
Eisenstein Series)はドイツハンブルグ大学でも受理されました。近畿大学も難病の学生を引き受けるため、障碍者のためのトイレを増設したり、寝たきりの彼のため、教授がわざわざ家に来て教えてくれたり、卒業論文の審査もオンラインでするなど努力してくれたと母親が言っていました。
私はわが子のためにと頑張る、ご両親や妹さんの姿を中学から見てきて頭が下がる思いでした。大学が近大だったので、息子が少しでも通えるようにと、近大の正門近くの家を買い移転します。妹は転校をしなければなりませんが、兄のためと移転に同意します。中学時代にはまだ車いすでの移動が可能でした。ご両親はできるだけ多くの景色を見せてやりたいと、自家用車に車いすを乗せ、あちこち旅行にも出かけました。
どんどん筋力が衰え、今までできていたことができなくなっていくという残酷な病の中、本人はパソコンを使って絵をかいたり、随筆を書いたり、俳句も始め、朝日俳壇には何度も彼の句が掲載されました。亡くなった病院の病室で毎日俳句を作り、自分のホームページにアップしていました。最後まで頭は明晰で、体はベッドから離れられないのに、彼の脳裏には我々が目で見る以上のものが見え、それを文字で表現していったのです。この前向きな生き方は公共広告機構のCMで紹介されたこともあります。
マスクなき元の暮らしの陽炎へり(高山れおな選)
寝たきりの生の安堵や春日和(大串 章選)
新巻きの銀は月下の波濤かな(長谷川 櫂選)
引鶴の神となりゆく匂ひかな(NHK俳句入選)
12月19日(金)忘年会で共生学舎退会を告げる
「6時に共生学舎の忘年会、4:40に家を出るも飯盛、登美ヶ丘、神功5丁目、佐紀付近が渋滞で、1時間20分もかかってしまう。店は近鉄新大宮の近く。出席者は小生を含めて7人(O氏,H氏,N氏、M氏,Hm氏、Ng氏、To氏)この場で、来年の3月で共生学舎を退会すると表明する。出席していた人たちはタケノコ掘りイベントや、餅つき大会には顔を出してよといってくれる。うれしい限り。」
2026年
1月11日(日)1号田の稲作もやめる
「今日は竹林C地区の古い竹を伐採する。チエンソーを扱えるのはT氏とD氏しかいない。小生は二人に伐る竹を指示する。ところが切った木を下に倒す人がいない。結局、3人で倒していく。9:30からの会議に遅れて出る。水田耕作は1号田もやめることになる。1号田は芝生化したり、畑、ビオトープにする案も出る。海の森と連携してやることになるようだ。ビオトープとなればT氏が中心になって作業をするので、彼はこれからも残ってやっていってくれそうだ。」
1月26日(月)日記をみて共生学舎での思い出を書こう
「共生学舎を3月でやめるにあたり、今までの思い出を、日記を見て振り返ろうと2013年の日記を調べる。どうやって畑に行くことになったのか、経緯を示す文は見当たらず。8月にN氏に返書を書くとあり、ひょっとして誘いの手紙などがあったのではと、封書・はがきを調べるも見当たらず。とりあえず、11月の稲の刈り入れから書こうと思う。」
2月1日(日)竹林C地区に竹材粉砕機
「竹をチップにする機械を借りる。大原農機が10時前に持ってくる。前回は忘れていて遅くなったが、今回はきちんと持ってくる。はじめHm氏が竹を機械に入れていたが、音が大きすぎて長くやっていると耳鳴りがしてくるのか、盛んに耳を抑え、苦しそうにしていたので代わる。約30分で休憩。その後は、小生はテイッシュを耳に詰め込み作業を続ける。倉庫前と馬糞置き場の横の竹も処理する。Td氏が主にやってくれる。昼食は帰る途中のうどん屋で鍋焼きうどん+おでん3個を食べる。」
2月21日(土)竹林A地区で早くも小さなタケノコ1本が顔を出す
「今日は快晴の上に気温も15度まで上がり気持ちがいい。昨夜は水洟が出てくしゃみも止まらず、薬を飲んだところ眠くなり、20:30にベッドに入る。3:00過ぎに目が覚め、新聞を読んだり、ミラノオリンピックの中継を見たりするが、6:00頃眠くなり再びベッドに。7時過ぎに起きて、8時に家を出る。今日は竹林C地区に肥料をまく。O氏,H氏、T氏、Hm氏の5人で作業をする。すぐにまき終わり、A地区を見に行くと、小さなタケノコが顔を出していた。この後、溝掃除が終わってないので手伝う。昼食の後,T氏が1号田の土を耕運機で掘り返していたので手伝う。帰りM氏が九条ネギをくれる。」
文責 中野 謹矢