2023年
3月19日(日)Nt君が1月19日に突然死で亡くなっていた!!!
「畑に行く。水飲み場から花壇に土を運ぶ。Kmさんはアマリリスやカラーなどの花を植えてくれる。午後より畝づくりと休耕田の整地をNg氏,M氏,Td氏らとする。家に帰ってから,Nt君に電話するも出てこず。“留守電は容量いっぱいで録音できません”のメッセージ。夜9時過ぎに再度電話すると、Nt君の代理人という甥っ子が電話に出てきて、“1月19日に医者に行って、その帰りに突然死でなくなりました”という。えっ!!!驚き、何も言えない。前回メールで畑に誘ったが全く返事がなく、おかしいなと思っていたが、ひょっとして入院でもしているのか、あるいは忙しくしているのだろうぐらいにしか思わなかったので、ただただびっくりである。いつも、畑への行き帰りの車の中でバカ話をするのが楽しみだったのに・・・」
3月22日(水)にNt君の実家にお参りに行きました。8歳違いの妹さんと、たった一人の息子に先立たれ言葉も少ないお父さんが応対してくれました。Nt君は1月19日、いつも通っている尼崎にある皮膚科に行きます。その時血圧が低く、大きな病院で検査を受けるようにと皮膚科の医師は伝えました。午後3時ころ、彼は尼崎の駅前のベンチに座り、そのうちに横になったとのことで通行人が救急車を呼び、病院に運ばれ死亡が確認されたとのことです。警察も事件性がないか調べたようですが、結局は突然死ということで、午後7時30分、遺体を引き取りに来るよう実家に警察から連絡があり、妹さんが引き取りに行きます。正月のおせちはおいしいとよく食べていたとのことでした。彼には妻も子どももいませんでした。ただ、若いころ愛した彼女は北海道の人で、彼女は若くして亡くなってしまいます。Nt君は彼女のことが忘れられないのか、自分一人になれば北海道に行き、そこで骨をうずめると言っていました。
畑に行く車に今も彼は助手席に座り、わたしに「きんやさんも・・・」と声をかけてきてくれるような気がして、思わず寂しさが胸に迫ってきます。
4月2日(日)新しい理事長にO氏 再登板
「I氏、KmさんにNt君の死のことを知らせる。2人とも驚く。Kmさんは前に会った時は“体の調子がよくなってきた”といっていたのにという。今日は9:30から定例会。新しい理事長にO氏、副理事長にH氏が決まる。この2人がてきぱきと議事を進行。N氏は欠席。畑に来ていたモンゴルからの留学生が起業し、社員100人ほどの人材派遣会社を立ち上げ、外国から働きに来る人達に日本語や我が国の風習、習慣を教える学校も立ち上げ、N氏が校長に赴任するらしい。77歳でバリバリの現役である。今日役割分担が決まるのかと思っていたら、1か月間自分が何をしたいか考え、ラインで知らせるという方法をO氏が提示する。花壇はKmさんにやってもらい、自分は水路づくりをT氏、I氏とする。2時畑を出る。」
4月16日(日)今年は裏作で竹の子は参加者に1本のみ
「8時前に家を出て畑へ。もう上の駐車場はいっぱいで、かろうじて1台、小生の車が入れるという感じ。後から来た人は前の車の後ろに置くしかない。10時、タケノコ掘りイベント開始。N氏が初めのあいさつを、小生が掘り方の説明をする。今年は裏作のためか、あまりとれず。2本持って帰る。1本はできすぎていて半分しか食べるところがない。1本はパン屋さんからもらう。かろうじて、来た人には1本ずつ持って帰ってもらうことができた。N氏の奥さんが先日、畑で転倒、右前頭部を打撲出血。N氏が病院に連れていきCTをとってもらったところ、異常なしだったとのこと。翌日,N氏が庭で後ろ向けに転倒、左後方頭部を打つも、幸い大事に至らず、よかった。」
5月7日(日)定例会は雨天中止
5月16日(火)私は左目の黄斑円孔で手術をしたため、7月2日(日)まで共生学舎に行くのはやめています。
5月2日(金)雨の中 水路から田への浸水を防ぐためO氏,Ng氏ら奮闘
「台風2号と梅雨前線の影響で朝から雨。O氏が田を見に行くと横の水路から水が流れ込み、田はすっかり水につかってしまう。30・31日とI氏とTd氏が田植え機を使って田植えを終わったばかりだ。O氏がメールで応援を求め,Ng氏,H氏,Mwさんがかけつける。さすがNg氏。板を張り付け水の侵入を防ぐ。明日は田植えイベント。予報では天気は晴れで、約100名が参加するらしい。」
5月3日(土)田植えイベント開催
「台風一過、午後より晴天になる。田んぼでは約100名の親子が田植えをしていることだろう。」
7月2日(日)6月29日 共生学舎創立時の理事K氏亡くなる
「K氏が先月29日の午後に亡くなり、今日通夜。9:30に畑に行くと会議は始まっていた。約1時間会議の後、新しく来た人とI氏の3人で2号田に入る。ずぶずぶと田の中に入り、抜いた雑草をふるいプランターに入れながらの作業である。足が泥にすくわれ、なかなか大変なり。2号田は日当たりが悪いためか水草が多い。11:30まで途中休憩を入れ作業し、昼食ののち、12:30から作業を続行。13:30に完了する。
夜はK氏の通夜に出る。O氏の話によると29日の朝食のパンは食べず、昼食はしっかりとり、昼寝に行って、そののまま亡くなったという。みんなが希望しているぽっくり病というやつである。通夜はJR奈良駅そばのパルコ。葬式に出るのは久しぶりだ。K氏は昭和15年(1940)2月26日奈良の山添村に生まれ、15歳で大工になっている。読経は山添村の寺の住職がする。親戚も多く40名ほど参加一般も入れると100名ほどか。棺の中のK氏はやせておらず、きちんと化粧されていて、ゆっくりと寝ているという感じだった。」
K氏は私がN氏より誘われ、共生学舎には行ったとき以来、いろいろと世話になりました。家に何度かお邪魔して、2階の骨とう品を見せてもらったりしました。古い兜や日本刀など。市の立つ日などには、お寺の境内などで骨とう品を売りに行っていたそうです。畑に行くと必ず何か作物を持って帰らせてくれました。年末の餅つきは彼の作業場で、彼の仲間かそれとも従業員かわかりませんが、にぎやかな人たちと私の子どもや孫たちも参加して行ったものでした。私は餅係というよりも鯛焼き係でした。中央市場で買ってきたという大きな正月用の鯛にくしを突き刺し、炭火で焼いていくのです。くしの刺し方が悪いと気性の粗そうなおじさんに怒られながら焼いていました。K氏はおおらかで、明るく、話好きな人でした。お世話になりましたと合掌し、葬儀場を後にしました。
7月16日(日)歯にひびが入るは 車の窓にひびが入るは 散々な収穫祭
「今日は参った。畑に行き,T氏が草刈りをし、小生が防護板を持っていたが、帰りに花壇近くに置いていた小生の車を見ると、小さな小石が当たり助手席側の窓ガラスにひびが入っていた。草刈りをしているとき、花壇で作業していたOn氏が“小石が飛んできて足に当たった。気をつけんと車に傷がつくで”ということを言ってきてくれたが、小生は防護板を持ち、きちんとブロックしていると思い、車はそのままにして、場所を移動し作業を続けたのが悪かった。10時から11時まで作業。11:30~1:00までBBQ.Td氏が肉を仕入れてくる。小さな骨がついているカルビをかじったが、なかなか嚙み切れず。それを何度かしているうちにどうやら左下奥の歯にひびが入ったようだ。散々な収穫祭だった。」
7月25日(火)泥田に入り雑草を刈る
「11:00に畑に行く。草刈り機をI氏が用意してくれており、稲と稲との間の雑草をとっていく。うまい具合にI氏考案のかご様のものが取り付けられており、稲を痛めないようになっている。5号田から始める。しかし西側は泥田で長靴が完全に埋まるぐらいに沈み、足が抜けなくなる。靴下で泥田に入り、約30分で休憩。自動車の温度計では35℃。日が時々陰ってくれることもあり、12時から2号田。こちらは南側が泥田。ついに靴下も脱げて裸足で作業をする。まだ全部取り切れていないが12:30に終わることにする。昼食をテント下でとり、1:30畑を出る。」
文責 中野 謹矢