私は中学校教員として38年間生徒と接してきました。教科は社会科でした。若いころ旅行に行き、その時に出会った人と話をしているうちに教員であることが分かると、次に必ず教科を聞かれ「当ててみてください」というと、ほぼ「社会科ですか?」と言われ、数学だの理科とは言われませんでした。それぐらい社会科顔だったのでしょう。
さて、歴史観の話ですが、私は戦前の「国史」の見直しから、戦後の歴史学は出発したと思います。それはアメリカに言われたからということでなく、日本人自身が考古学や文献資料から、天皇制というフイルタを取り除き、日本史の流れを見直していきました。それが1960年代の岩波歴史講座や中央公論社の「日本の歴史」シリーズに結実したのでした。中央公論の日本の歴史はベストセラーになりました。
秦郁彦氏は「日本歴史における最大級の虚構は日本起源2600年説でしょう。(略)日本の歴史は西暦より660年長い。日本がいかに古い立派な国か、それが教育の核心になるわけですね。」と書いています。(秦郁彦「実証史学への道」)
戦前、東京大学国史学科の教授であった平泉澄氏は卒論のことで相談に行った学生に「百姓に歴史がありますか。豚に歴史がありますか。」(中村吉治「社会史への歩み」)と言ったそうです。戦前の歴史学、とくに義務教育学校で教えられていた歴史は天皇制という視点、あるいは政治を実際に動かしてきた人たち(偉人)中心の歴史でした。忠君愛国史観(皇国史観)とでも呼ぶものでした。(続)
文責 中野 謹矢