食の重要性を知る

 


 
  “食についてどう感じていますか”という問いに対しては誰もが大切であると答えます。しかし、案外この当たり前のことが頭の中では解っていても、毎日の食事については深く考えていない人が多いようです。そういう私も食べ物については好き嫌いがないということもあって、家庭では出されたものを食べるということを続けてきましたが、今思うとほとんどが手づくりの料理だったのが救いでした。
 しかし、仕事の関係で外食が増え、単身赴任の生活を続けるうちに健康診断の数値が正常値の範囲を超えるようになりました。
その後、民間企業を退職し公立高校の校長として生徒達と接するようになりましたが、あまりにも満足な食事をしていない生徒が多いことに愕然としました。弁当持参の生徒は別として毎日コンビニで購入した菓子パンやジュースが主体の昼食を摂っているケースがあまりにも多いのです。これでは満腹感は得られるもののバランスの取れた栄養価の高い食事とは程遠いものになってしまいます。この結果、集中力や持続力に問題のある生徒が散見されるようになりました。
そのため食堂業者に協力をいただき、メニュー等の改革に着手したものの成果を確認できないまま退職することになってしまいました。
教育の世界では「知育」「体育」「徳育」が三本の柱だと言われていますが、これらの土台に「食育」があるということを痛感しました。 

 その後、食に関する問題意識を持ちながら勤務した私立学校では手づくり弁当を持参する生徒が大半でしたが、別の衝撃的な出来事が待ち受けていました。
 それぞれの学校には座学だけではなく色々な行事があります。とりわけ環境が大きく変わる新入生に対しては生徒同士の交流を深め学校に円滑になじめることを狙いとして入学直後に「宿泊の伴うオリエンテーション研修」が開催されます。
この際に事前アンケートを実施したところ、食物アレルギーを有する生徒があまりにも多くいることがわかりました。
私が知っている食物アレルギーの代表的なものは“蕎麦アレルギー”くらいでしたが、アレルギーを起こす食物は卵、肉、青魚、甲殻類、小麦等多岐にわたっているため
食物アレルギーのある生徒には別メニューを準備しなければならないということになりました。
 また、極度のアトピーや喘息等に悩まされている生徒も相当数に上ることもわかりました。このような現象は少なくとも私達の子どもの頃にはあまり見られなかったように思います。この原因を色々と調べているうちに食品添加剤や農薬が大きく関わっていること、また幼少の頃からの食生活が影響していることもわかってきました。   ≪続く≫

読んで字のごとく日本語の「教育」 というのは教え育むという意味であり、
英語のeducationの起源はラテン語のeducareで、e(外へ)ducare(引っ張り出す)という意味です。単に知識を与えるということだけではなく子どもの力を引き出すというのが本来の教育でなければなりません。
今の日本では子どもを育てる責任は学校という教育機関であるといった考えが保護者の間でも定着してきていますが、これは考え直す必要があると思います。
これまで教育の三本柱として挙げられているのが「知育」「徳育」「体育」ですが、私はこれらに「食育」を加えた四本柱が重要であると考えています。そして、人間が生きていく上で不可欠な食については知・徳・体と同列ではなく、むしろこれらの土台に位置するのではないかと思っています。
知識については学校が主体になるのは当然ですが、人間としての思いやりや真心、善悪の区別等の根っこを育てる徳育や体力増進や健康維持をはかるための食育については家庭が主体にならなければなりません。そのためには親(保護者)の役割が極めて重要になってきます。
 (文責 中尾 直史)

2022年05月10日