大相撲名古屋場所はコロナ感染の影響で多くの休場者を出しながら逸ノ城の優勝で幕を閉じました。日本の国技と言われている相撲ですが、残念なことに最近はモンゴルに代表される外国人力士の活躍に圧倒されるようになってきました。この影響もあってか、野球やサッカーやテニス、ゴルフ等に主役の座を奪われつつありますが、依然として根強い人気を保っているようです。
「すもう」の語源は争うという意味の「すまひ」が「すまふ」となったと言われており、古代には古事記や日本書紀に登場するほど格闘技としての意味合いが強いものでした。その後平安時代には力のある男性が神前で天下泰平、子孫繁栄、五穀豊穣、大漁を祈り、その力を捧げる神事として確立しました。続いて鎌倉時代以降の武家社会には武道として奨励されることになり源頼朝や織田信長は度々上覧相撲を催しました。更に江戸時代には芸能や職業スポーツとして位置づけられ、今日の大相撲の基礎が築かれることになりました。こうして相撲は日本文化の変遷に沿うように形や存在意義を変えながら現在まで続いてきており、日本固有の宗教である神道に基づいた神事や祭りであり、武芸でもあり武道なのです。このことは、結びの一番の終わった後の「弓取り式」があることでも分かります。
世界には固有の格闘技を持つ民族が数多くありますが、相撲はこれらとは大きく異なる面を有し、儀式やしきたりを重んじる格式の高いスポーツです。丸い円の土俵、着用するのはまわしのみ、髷(まげ)を結う等は独特のものです。また土俵に入る前には必ず塩をまきますが、これは「清めの塩」といい、土俵の邪気を祓い、土俵を清め、神に祈るという意味があります。そして、一度塩をまきに行った後、前の取組で勝った力士から水をつけてもらい、口をすすいで身体を清め、その後、桶に備えてある「力紙(ちからがみ)」で顔や身体をめぐって再び土俵へと向かいます。土俵入り後に拍手を打って、両手を広げ、手の平を下に向ける意味は「私は武器を持っていません、素手で、正々堂々と勝負します」
という意味なのです。
更に土俵上の所作で、最も目につくのは力士が踏む「四股」です。力士にとっては大切な準備運動でもありますが、四股とは本来「醜いもの」という意味があり、力士は四股を踏むことで地中に潜む邪気を祓っていると言われています。このような日本の文化を国際的にも伝えていきたいものです。 (文責 中尾直史)