◇37歳 日本に帰国する途上、天風は上海にて公使を務めていた旧友の山座円次郎を訪ねたが、滞在間もなく旧知の友人である孫文が第二革命を起こしたため、「中華民国最高顧問」として協力することになる。この革命は挫折したが、その謝礼として財産を得ることになり、帰国後は時事新報の記者を務めた後、東京実業貯蔵銀行の頭取などを歴任し実業界で活躍することになる。
◇43歳(1919年)、頭山満に代わって講演を行っている最中に、突如多くの人に幸せな人生を送ってもらいたいという強い思いが湧出し、そのための活動を行おうと決意する。そして、頭山に相談した上で一週間の間に職を辞し、財産を処分して「統一哲医学会」を創設し、街頭にて自らの思いを説き始めることになる。
〝人は縁あってこの世に生まれてきた。人生一回、一生であって二生はない。しかし、ほとんどの人が食う、寝る、着る、儲けるといったことに終始し、人として恥ずかしくない人生を送っている人はあまりにも少ない。命の大切さを知り、人生を強く、長く、広く、深く生きていくためには瞬間、瞬間が大切なのだ。
「お前はこの世に何をしに来たのかよく考えろ」と言われたカリアッパ師の言葉を胸に、これからは多くの人を幸せに導くという強い思いで、新たな人生を歩みだすことになる。≪続く≫
(文責 中尾直史)