高齢者の志

戦後、日本では徐々に60歳定年制が定着し、定年後は静かに余生を送るというのが一般的な生活パターンになってきました。そして、この前提に立って〝健康保険〟や〝年金〟といった社会保障制度がつくられました。
この仕組みが成り立つのは多くの働き手がいることが大前提ですが、少子化と平均寿命が延びることによる高齢化によって、次第に制度そのものの維持が難しくなってきました。そのため、近年は年金の受給開始年齢の引き上げ、65歳までの定年や雇用年齢の延長、保険料や医療費負担の増額等さまざまな施策を導入してきましたが、高齢化のスピードには追いつけなくなってきています。
現在の高齢者の状況を見ると、個人差もありますが、生産労働年齢(15歳~64歳)を超えても体力、知識、技能面も含めてもうひと頑張りできる余力を残している人が多いようです。かつての〝余生〟という言葉は定年退職した時にエネルギーを使い果たしていた時代の産物であり、今は当てはまらないように思います。
そして、今後ますます高齢者が増加する社会にあっては、本来なら〝社会の重し〟であるべき高齢者の存在感がなくなり、逆に〝社会のお荷物〟になりかねません。
このような状況が続けば日本の活力はどんどん失われてしまうことになってしまいます。これを防ぐためには高齢者一人ひとりの質が高まらなくてはなりません。
これまで、何度も述べていますが、〝せめて自分が生きている間だけは何とかして欲しい。後のことはどうなっても良い。〟という考え方ではなく、後世の人達に負の遺産を引き継がないという思いが大切であり、このことは高齢者一人ひとりの志にかかっています。
私も体力面では現役時代のような活動はできませんが、日々の生活において極力周りの人達の負担にならないよう心掛けると共にこれまでの経験を通じて得たものを社会や人のためにお返しするという気持ちで生活していきたいと思っています。
(文責 中尾直史)

2024年01月25日